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大阪地方裁判所 昭和50年(ワ)923号 判決

原告 永井守彦

右訴訟代理人弁護士 小林保夫

同 稲田堅太郎

同 佐藤欣哉

同 鈴木康隆

同 桐山剛

同 高藤敏秋

同 大音師建三

同 戸谷茂樹

同 細見茂

同 吉岡良治

同 大江洋一

同 大川真郎

同 松丸正

同 渡辺和恵

同 斎藤浩

同 伊賀興一

被告 大阪市職員労働組合

右代表者執行委員長 植田末廣

右訴訟代理人弁護士 岡田義雄

同 北村義二

主文

一  本件確認の訴えを却下する。

二  被告は、原告に対し、金六万円及び内金五万円に対する昭和五〇年三月九日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、これを五分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

事実

第一申立

一  原告

1  被告が原告に対してなした昭和五〇年二月二一日確定の組合員としての権利を一か月間停止する旨の処分は無効であることを確認する。

2  被告は、原告に対し、金三五万円及び内金三〇万円に対する昭和五〇年三月九日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第2項につき仮執行宣言。

二  被告

(本案前の答弁)

1 原告の訴えをいずれも却下する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(本案に対する答弁)

1 原告の請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二主張

一  被告の本案前の申立の理由

1  被告(以下、被告組合ともいう。)は、原告に対し、組合員としての権利を一か月間停止するとの権利停止処分(以下、本件処分という。)をしたものであるが、右処分は、被告が労働組合として有する自治権に基づき、その範囲内において行なったものであるから、右処分の是正については、民事訴訟手続は全くなじまず、よって、本件処分の適否を対象とする本件訴えは不適法として却下されるべきである。

2  本件処分は、一か月間組合員としての権利を停止するというものであるところ、右一か月の権利停止期間は既に経過し、原告は、現在、他の組合員と同様の権利を有することは明らかであり、結局のところ、右処分は過去の法律行為にすぎないというべきであるから、本件確認の訴えは、確認の利益を欠く不適法なものといわなければならない。

二  本案前の申立に対する原告の反論

原告は、本件訴えにおいて、本件処分が組合規約四七条に該当する事由が存在しないのに行われた点及び原告の行為が思想・信条、政治活動に関するものである点をとらえて、違法無効であると主張しているのであり、右規約四七条に定める事由が存在することを前提に、その処分の量刑が不当であるか否かを問題としている訳ではない。

よって、本件処分の違法無効を前提とする本件訴えは、組合内部又は固有の問題をはるかに越えているというべきであるから、当然司法審査の対象となるのである。

三  請求の原因

1  当事者

(一) 原告は、昭和三五年四月一日、大阪市職員に採用され、以来今日まで浪速区役所において勤務しているものであり、また、市職員採用と同時に被告に加入し、以来被告組合浪速区役所支部において、青年部役員、執行委員、書記長、副支部長を歴任し、昭和四四年七月以来同支部長の地位にあるとともに、被告組合本部において、昭和三七年以来(ただし、昭和四二年を除く。)中央委員の地位にあり、昭和四二年にはその執行委員を勤めた。

(二) 被告は、組合員の労働生活条件の維持改善の達成その他を目的とし、大阪市に勤務する約一万六〇〇〇名の職員(ただし、交通局、水道局、消防局等に勤務する職員を除く。)をもって組織され、その肩書地に事務所をおき、二六区役所支部をはじめ四九の支部をもって構成される労働組合である。

2  本件処分とその理由

(一) 被告は、昭和四九年一二月一九日に開催された同年度第三回中央委員会において、第二回大阪市役所部落問題研究集会(以下、第二回部落研集会という。)に関する原告の行動が組合規約四七条に該当するので四八条二号に基づき、原告に対し、権利停止一か月の統制処分(本件処分)をすると決定し、同日、原告にその旨を通告した。

原告は、同月二四日、本件処分を不服として、制裁手続規程七条に基づき、被告組合執行委員長あてに控訴した。

被告は、昭和五〇年二月二一日の臨時大会において、原告の右控訴について制裁手続規程八条に基づき再審議をしたが、右処分を維持する旨の決定をした。よって、本件処分は、同日確定し、同日からその効力が発生したものとされている。

なお、前記組合規約四七条には、「1組合の綱領、規約、決議に違反したとき、2組合の名誉を毀損したとき、3組合の統制をみだしたとき」との規定がある。

(二) 本件処分の理由は、概略次のとおりである。すなわち、

(1) 原告は、第二回部落研集会実行委員会の委員長であるところ、右実行委員会は、昭和四九年九月二八、二九日の両日宝塚市中山寺で、第二回部落研集会(以下、中山寺集会という。)を開催することとし、大阪市役所職員に参加を呼びかけた。被告組合は、右集会が被告組合の方針に対抗する内容をもち、組織破壊に通じる分派的行為であり、労働組合の団結上許せない集会であるとし、また、このことを組合大会、中央委員会で確認したうえ、右実行委員会に反省を促したにもかかわらず、右実行委員会は右集会を強行しようとした。

(2) しかし、右実行委員会は、被告組合の説得行動により中山寺集会を延期せざるを得なくなったため、同月二九日、会場を大阪市上六の大阪府立教育会館に変えて「民主主義と基本的人権を守る市役所労働者の集い」(以下、教育会館集会という。)を開催したが、右教育会館集会は、中山寺集会に予定されていた内容を一部実施しているだけでなく、被告組合の団結と組織破壊につながっていく点では同質の集会であった。さらに、右教育会館集会は、被告の組合大会、中央委員会決定を糾弾し、決定に反する活動を発展させると決意・確認したことによりいっそう組織に対する対抗を鮮明にしている。

(3) よって、原告は、第二回部落研集会実行委員会委員長として、中山寺集会及び教育会館集会を企画し、教育会館集会を実行したものであるから、組合規約四七条所定の行為をなした場合に該当する。

3  本件処分の違法性

本件処分は、労働組合の統制権の対象とすることができない原告の行為を対象としてなされたものであり、また、憲法一一条、一四条、一九条、二一条に違反するから違法、無効である。

(一) 本件処分に至る背景と事実経過

(1) 被告組合における部落解放運動をめぐる方針とその論議の非民主性

被告組合は、昭和四四年九月、第二四回年次大会において、初めて部落解放運動に関して、「同和対策事業にかんするとりくみ」の方針を掲げ採択されるに至ったが、右方針においては、部落差別の存在を前提とし、その完全解放に向けて部落問題解決のための施策を国や自治体の重要施策として位置づけさせて闘うこと、部落解放の闘いを国民的課題として、正しい認識を広めるため研究活動を行うこととしている。以来、被告組合は、右基本方針を前提としながら、昭和四五年九月の第二五回年次大会において、部落解放の闘いは、部落解放同盟(以下、解放同盟という。)を軸に労働者階級が国民的課題として実践すべきこととし、昭和四六年九月の第二六回年次大会においては、これまでの運動方針を評価したうえ、解放同盟を中心に、自治労も参加して、同対審共闘大阪府民共闘会議を組織し、その後の運動の前進をはかってきたとし、昭和四七年九月の第二七回年次大会においては、この間の部落解放運動につき、労働組合、民主勢力の理解が必ずしも十分でないことと共産党の立場からの非難、攻撃もあって、全面的に発展しているとはいえない実情にあるとし、昭和四八年九月の第二八回年次大会においては、この点に関し、共産党の歪曲理論があるために階級的視点が十分に確立せず、悪用されて差別意識を増幅している事実があるなどと指摘するに至り、さらに、本件処分問題が発生した昭和四九年九月の第二九回年次大会において、被告組合の方針として表現上初めて、解放同盟との連携、協力をはかることを明らかにした。

しかし、被告組合の部落解放運動に対する右のような方針が採択された右各年次大会における論議は、民主的な状況において行われたものではなかった。すなわち、原告は、昭和四六年の第二六回年次大会において、執行部から提案された部落解放問題についての運動方針案に対し、これに反対する立場から、部落解放運動に二つの潮流が生じていること、解放同盟の解放理論は、結局、部落民以外はすべて差別者だとする論であり、労働者相互間、人間相互間に対立をもち込むものであり、同盟綱領にも反する誤ちを犯していること、吹田市政にかかわるいわゆる窓口一本化強要問題にあらわれた同和行政私物化問題、数々の暴力問題、労働組合・民主団体と解放同盟との対立問題などゆゆしき事態であることを指摘して反対した。ところが、原告の右発言を事実上阻止すべく、会場から野次と怒号が乱れとぶなどしたため議場騒然の様相を呈し、さらに、被告組合執行部は、右発言を抹殺すべく、原告に対し、右発言の取消と自己批判を迫ったが、原告がこれに応じなかったため、大会議長は、右発言を議事録から抹消するという措置をとった。

右のような事態の発生は、右大会だけではなく、昭和四七年の第二七回年次大会においても、原告は、部落解放問題に関連して発言したが、その最中しばしば野次と怒号で議場騒然となり、その都度、発言を中断せざるを得ない状況であった。さらに、昭和四八年の第二八回年次大会において、原告及び成瀬は、部落解放問題に関し、解放同盟路線を批判する立場から発言したが、これもたびたび議場騒然となり発言中断を余儀なくされ、加えて成瀬の発言は、差別発言とされて原告の前記発言と同様に議事録から抹消されてしまった。

本件処分問題が発生した昭和四九年の第二九回年次大会においても、右同様の経過で原告の発言が一部議事録から抹消され、また、昭和五〇年の第三〇回年次大会においても、解放同盟路線を批判し、真の部落解放を求める立場から発言した稲森の発言も、資料の出所の公開などの理由をもって議事録掲載の保留という措置がとられた。

以上のような大会論議の状況・経過は、被告組合においては、こと部落解放問題に関して少数意見の存在を許さず、また、被告組合の方針案を事実をもって検証し、より正しい内容に深めていこうという民主主義のルールを否定ないし放棄していることを示している。そして、その当然の結果として、被告組合の部落解放のための日常活動は形骸化し、羽曳野問題に典型的に見られるように、解放同盟と癒着し、被告組合員に一方的に同組合の方針を押付け、組合員個々の自発性に基づく事実の検証、より正しい自覚的な見解を養い育てる基盤を作らず、自由な意見発表の場を一切提供しなかったのである。

本件処分は、このような状況の中で発生したものである。

(2) 部落解放運動をめぐって対立する二つの潮流と正しい部落解放の発展

部落差別を一掃し、部落解放を推進しようとする目標課題の限りにおいては、原告も被告組合の方針も一致している。しかし、部落解放そのものを結集のかなめとする運動団体が現に複数以上存在し、その中で、大別して二つの潮流として鋭く対立する状態にあることは歴然としている。それは、端的に言えば部落排外主義の立場をとる解放同盟路線の潮流と国民融合の路線を推し進める全国部落解放運動連合会(以下、全解連という。)の潮流である。そして今や、全解連の運動こそが真の部落解放を推進する立場であることが明らかとなり、その運動が大きく発展している現状にある。

(イ) 部落解放運動の歴史といわゆる朝田理論とその実践

部落解放の基本は、封建的な身分制の残りものである部落差別を一掃し、旧身分制に起因する格差や差別をなくして社会の平均的水位(水平・平等)にもっていくこと、封建時代の身分の違いを越えて国民的な融合を遂げていくことである。

封建社会は、階級的な支配・被支配が同時に身分的にも固定化され、身分差別が体系化されており、江戸時代には士、農、工、商とその下層に賤民(エタ、非人)という身分が固定化されて職業・居住地の固定化による閉鎖的壁がつくられ、心理的にも自分の下層の身分をさげすむという状態であった。明治維新後の解放令により「エタ」「非人」の称の廃止などの措置がとられたが、戸籍には華族、士族、平民、新平民(かつてのエタ・非人)という身分が明記され、部落差別は温存された。この身分制差別である部落差別を一掃し、社会の平均的水位にもっていく課題は、すぐれて民主主義的課題の重要な一つとして、日本国民に課せられた任務である。

この部落差別を一掃する部落解放の運動で画期的意義をもつのは、人間の尊厳と平等を求めた全国水平社の創立であった。しかるに、水平社運動は、その初期において、いわゆる差別糾弾闘争をくりひろげ、そのほこ先を多くの場合一般国民に向けたため社会的に孤立していったが、その後、昭和九、一〇年の大会において、階級的融和、人民的融和という水平運動の高い水準の理論と方針をもつに至った。右にいう階級的融和、人民的融和とは、部落民対非部落民という図式的な対立をつくりだす部落排外主義に反対し、部落住民と一般国民が団結して部落差別をなくし、その融合をはかっていくという立場である。

水平社運動は、戦争体制突入という事態の中で、昭和一五年、事実上消滅したが、戦後部落解放全国委員会として再出発し、右委員会は、昭和三〇年の大会において、部落解放同盟と名称を変更した。

右解放運動は、水平社運動の積極面をひきつぎ、部落住民の諸要求実現の闘いとともに、平和と民主主義など国民的諸課題にも取組むことを通じて、昭和三五年の大会では部落解放を民主主義の課題と位置づけ、労働者、国民との団結の立場、統一戦線の観点からの部落解放の方向を定めた綱領を確立した。

しかし、解放同盟内部には、部落排外主義的潮流がなお根絶されるには至っておらず、右潮流を代表する朝田善之助(当時、本部副委員長)らは、この間綱領路線に反する様々の策動を続けた後、ついに昭和四〇年の大会において、非民主的な運営により中央指導部を牛耳るに至り、これが部落解放運動を大きく歪める契機となった。

朝田善之助派の唱える理論は、いわゆる朝田理論と呼ばれているが、この理論の最大の特徴は、本来支配階級のイデオロギーである差別意識を、事実上、超階級的に、一般普遍的に社会意識として存在するものとする点にあり、これが、部落排外主義の思想的基礎となっているのである。

部落排外主義とは、一言でいうと、部落住民をその他の国民から切り離して両者を固定的な対立関係におく考え方であり、部落排外主義に基づく具体的主張は、部落民以外は皆生れながらにして差別者であり、部落にとって不利益なものはすべて差別であるとし、差別であるか否かを決めるのは解放同盟であるということである。このような主張に基づく部落解放運動は、一般国民を敵視することにより、部落住民と一般国民との間にある障壁を取除かないばかりか、新たに障壁をつくり、真の部落解放国民的融合をいっそう困難にするものとならざるを得ないことは明白である。

部落排外主義の実践は、数々の暴力事件、行政の私物化、学校教育への介入などをもたらした。すなわち、暴力事件としては、昭和四四年四月、矢田市民会館における三名の教師に対する監禁事件、同年六月、八尾市議会議員斎藤俊一ら共産党議員に対し暴行などを加えた事件、同年九月、大阪市浪速区において、大阪民主新報を戸別に配付していたタクシー労働者に対する暴行事件、昭和四五年一月、岸部小学校において、教職員組合の討議資料の内容に干渉して教師に傷害を与えた事件、大阪府会における解放同盟の幽霊バス問題を追及した共産党議員に対し、差別者ときめつけ同党議員控室に多数で乱入し林、藤川両議員らに傷害を与えた事件、同年一〇月、伏見東大阪市長に対し、従来の解放同盟大阪府連蛇草支部を排除し、上田派の者のみに同和事業を実施せよとのいわゆる窓口一本化を迫り、右蛇草支部の支部員に暴力を加え負傷者一三名と死者一名を生じさせた事件、昭和四六年六月、榎原吹田市長に対し、窓口一本化を強要して六〇〇名を動員し、市庁舎を占拠して市職員・市長らを脅迫し或いは暴力を加えるなどした事件、同年六月、吹田二中の三名の教師に対して暴行を加え傷害を与えた事件、同年九月、吹田市職員組合幹部三名に対し傷害を与え、また、吹田高校における映画「橋のない川」の上映を妨害するため教師に暴力をふるい傷害を与え、さらに、榎原吹田市長の首をしめ転倒させるなどの暴行を加え一〇日間の傷害を与えた事件、昭和四八年四月、羽曳野市に対し、窓口一本化を要求して、同年末から昭和四九年二月にかけて、連日にわたり市庁舎を占拠し、津田市長を監禁し市職員に暴力をふるい、さらには共産党大阪府委員会の宣伝車を襲撃した事件、他に昭和四七年に三件、昭和四八年に三件、昭和四九年に九件の暴力事件が発生し、東京都においても、昭和四九年八月、窓口一本化を要求して民生局長室を数日間にわたって占拠した事件、同年九月から一一月にかけ兵庫県南但馬地方一帯で学校と自治体職員に対し「確認会」と称する暴力的糾弾をくりひろげるという教育史上例をみない大量の教師に対する集団リンチ事件(八鹿高校事件)があり、行政の私物化といい得るものとしては、同和事業のうち、奨学金、入学支度金、妊産婦給付、事業貸付金、補助金、保育所入所、住宅入居などの個人給付について、本来、行政の責任において申請を受理し決定・給付すべきであるのに、解放同盟朝田・上田派は、要するに自分の承認なしにはその給付を受けさせないことを行政当局に確約させ、解放同盟朝田・上田派のみを窓口として同和事業を行う、いわゆる窓口一本化を実施していることであり、また、解放同盟朝田・上田派にとって好ましくない集会を妨害するため、行政当局に市民会館などの使用を許可しないように圧力をかけ、既に許可している場合はそれを取消させる卑劣な手段でもって集会会場の使用を妨害し、さらに、学校教育への介入としては、部落排外主義に基づく解放教育論を教育現場におしつけ、その結果、学校内での生徒の無秩序な行為がエスカレートし、非行の多発と学力の低下などの教育の荒廃が起きており、加えて、ここ数年五月末には、狭山裁判粉砕ということで生徒を同盟休校させるなど、生徒を彼らの闘争の手段にも使っていることをあげることができ、その他、解放同盟朝田・上田派に屈服させられた大阪市が、木下あいさつ状を差別文書と認めないことを唯一の理由として、同和保育指導員(市職員)であった橋本淅子を消防局へ出向させたという事件などである。

しかし、その後、羽曳野市、松原市、八尾市、吹田市、大阪府、富田林市、泉南市においては、窓口一本化廃止の方向をうち出し、現在、大阪府下の多くの自治体が窓口一本化を廃し、公正かつ民主的な同和行政を行うに至っており、その傾向は、兵庫県下においても現れ、また、東京都においても窓口一本化を否定するに至っている。このように行政当局の対応に変化を生じさせたのは、解放同盟朝田・上田派の暴力路線、窓口一本化による行政の私物化等に対する世論の批判の高まりであり、正しい部落解放運動の前進である。

(ロ) 正しい部落解放運動の前進

解放同盟朝田・上田派の部落排外主義に基づく一連の行動と行政の私物化は、部落解放に有害であることが明白になるにつれて、全国水平社の理念に則った正しい理論と運動の確立が切実に求められるようになった。解放同盟朝田・上田派は、自己の意にそわない幹部と活動家を排除する策動を強めてきたが、矢田問題を契機にして、誠実な同盟員の除名、さらには組織ぐるみ排除するという部落解放運動史上最悪の全国的大分裂を強行するまでに至った。

これに対し、部落解放運動の内部からも多くの批判が提起され、昭和四五年六月、部落住民全体の切実な利益を守り、真の部落解放運動を前進させるため、彼らの組織分裂や部落排外主義・暴力などが新しい差別、逆差別をつくりだすものであることを指摘し、その克服をめざすために部落解放同盟正常化全国連絡会議(以下正常化連という。)が結成された。これは、当初、部落解放同盟から不当に組織排除された人々が中心となって、大阪・京都・岡山・広島・山口の五府県一万三〇〇〇人で出発したが、現在では、東京・神奈川・群馬・長野・静岡・愛知・三重・奈良・和歌山・兵庫・福岡・熊本・大分など三二都道府県、一〇万人を越えるまでに発展し、解放同盟の組織規模に匹敵するまでに至っている。この間、正常化連は、昭和五一年三月、全国部落解放運動連合会に改組・発展し、今日では水平社の歴史的遺産を承継発展させる団体として部落解放運動の本流を担う質・量とも強大な力をもつまでになっている。

また、昭和四九年三月、全国水平社創立以来の部落解放運動の長老、阪本清一郎・北原泰作・木村京太郎氏らによって、「部落解放運動の統一と刷新をはかる有志連合」の名による「部落解放運動の危機に直面して皆さんに訴える」なるアピールが発表され、部落解放の正しい発展を願う部落内外の多くの人々に大きな影響を与えた。そして、昭和五〇年三月、京都市において、部落問題の各界の人たちが集まって全国有志懇談会がもたれ、その発展として同年九月、吹田市の市民会館に全国から一五〇〇名が、解放同盟朝田派の妨害を排して集まり、国民融合をめざす部落問題全国会議(以下、全国会議という)が全解連(当時正常化連)・同和会系の人々も思想・信条を越えて参加し、結成されるに至っている。全国会議と全解連の結成と発展は、広く国民的支持を得て、暴力的妄動・部落排外主義路線をつき進む解放同盟朝田派の孤立化を決定的なものとした。

(3) 原告らの部落問題研究活動の必然的発生

このように、部落解放運動に明白に二つの潮流があらわれ、真の部落解放運動を推進する全解連の運動が大きく発展する傾向の中で、昭和四七年八月、正常化連等が主催する第一回大阪部落問題研究集会が開かれた。右集会には、被告組合の組合員約五〇名が偶然的に参加していた。これは、被告組合の解放同盟に密着した路線に終始する活動の場にはどうしても納得できぬ良心的な組合員が、解放同盟の運動の誤りの現実を直視し、真の部落解放のあり方を探究しようとする当然の結果であったということができる。

右集会参加者の間において、同じ市役所労働者として、被告組合員の枠を越えて、自主的に真の部落解放の理論、運動を研究しようという話合いが直ちにでき、以来、原告らを中心として市役所労働者の自主的な研究活動が積み重ねられたのであり、処分問題に発展した第二回部落研集会も、この自主的な研究活動の一環であった。

(二) 本件処分の無効理由について

(1) 原告の活動とその根拠

(イ) 原告の部落問題に対するかかわりと大阪市役所部落問題研究会の結成・参加

原告は、昭和四〇年秋発刊された福本マリ子の遺稿「悲濤」を読み、部落問題への取り組みを自らの信条の一つとして始めることになった。そして、大阪市役所職員として浪速区役所に勤務している中でも生起する問題に真正面から取組んでいったのであるが、その一つのあらわれとしては、昭和四二年、同和地域で起こった火災を契機にした問題に自ら積極的に関与したことであり、昭和四三年には、原告の所属する被告組合浪速区役所支部において部落問題学習会を開いていることである。また、被告の組合大会など各種会議において部落問題に関する発言を行い、部落解放運動の正しい理解と認識を深めるために、部落の歴史、部落及び部落解放運動の現状、問題点等についての学習を目的とした自主的サークルである浪速区役所部落研結成に参加し、他の区役所職員とともにその運営に力をそそいできた。

そして、原告は、昭和四七年、大阪の部落解放同盟正常化連が主催する第一回大阪部落問題研究集会に自主的に参加し、その後、原告が中心となり、右大阪市役所関係の右集会参加者らとともに大阪市役所部落問題研究会を結成した。右研究会は、その会則(案)においても明らかなように、部落解放運動の正しい理解と認識を深め、広げるために結成され、職場で起こっている問題を出しあい、部落の歴史や現状、解放運動等について学習しあう活動をすることを目的とした極めて幅の広い、誰でも参加し得る内容と形態のものであり、かつ、大阪市役所で働く労働者の有志が、部落問題の正しい理解のための自主的研究活動として結成したものであることは明白な事実である。右研究会は、現在まで計六回にわたりその度毎に実行委員会を組織しながら大阪市役所部落問題研究集会を開いている。

原告は、前記のごとく被告組合の中でも部落問題について種々の発言、提言を行うとともに、自己の部落問題に対する考え方、特に昭和四四年の矢田問題以降、解放運動の中で起こっている各種の問題について、部落解放の名のもとに行われている色々な蛮行は、解放同盟の綱領の立場から逸脱した誤ったものであるという立場を明らかにして、大阪市役所部落問題研究会にも自主的に参加したものである。

(ロ) 原告らの活動に対する被告組合の対応の問題点

第二回部落研集会実行委員会は、大阪市役所で働く職員、従業員(職種により組織している組合が異っている。)の間に右集会の案内ビラ(以下、本件案内ビラという。)を可能な限り渡していく形で広げていった。そして、右案内ビラには、「市役所の多くの職場では、部落問題については“物も言えない”重苦しい状況があり、「解同」朝田・上田一派に対する批判も「部落差別を拡大、助長する」ものという決めつけによって封殺しようとする動きも強められています。」と記載され、連絡先として、浪速区役所内の原告と白浦という個人名を明記している。

被告は、本件処分をなすにつき、当初から処分後に至るまで一貫して右案内文を問題とし、右案内ビラに「解同」朝田・上田一派と表現されているところから明らかなように、第二回部落研集会は、被告組合の部落解放運動の方針に反対し、抗議する「研究集会」であり、被告組合の組織運動を破壊するための「研究集会」であると断じている。そして、被告組合は、右のような断定に基づき、いわゆる組織対応を実行した。その組織対応とは、本件研究集会について、①これを中止すること、②宣伝をしてはならない、③一般参加者も組織問題として対処する、④開催予定地において当日「説得」して実質的に開催させない、というものである。右にみた被告の組織対応の中味は、原告ら実行委員会のメンバーが、解放同盟及びその方針に批判的見解を有していることをもって組織破壊活動とし、解放同盟に対する批判は、それ自体で解放運動に対しても否定的立場に立つものと考え、右見解の存在自体を許さないために研究活動自体も許さないというものであるといわざるを得ない。

原告ら第二回部落研集会実行委員会は、右のごとき被告の断定と組織対応によって、同年九月一八日、会場予定地の中山寺から会場使用を断わられ、事実上開催できなくなったため、急拠同月二九日、他の労働組合の有志の人の参加のもとで、大阪府立教育会館において民主主義と基本的人権を守る市役所労働者の集い(教育会館集会)を開催したのである。

被告は、本件処分をする理由として、当初予定されていた中山寺集会と教育会館集会とを同質の集会とする判断に立っている。しかし、教育会館集会は、右のごとく第二回部落研集会の企画に対する被告の組織対応の結果右集会を開けなくなったこと、すなわち、部落解放運動における一つの潮流の立場を組合員に押しつけ、原告らの見解それ自体の存在を許さないという民主主義破壊、基本的人権侵害行為に抗議するため、急拠開かれたものなのである。

右の経過を見れば、問題となるのは、中山寺集会の企画にあるのではなく、これを許せない集会として前代未聞の組織対応をなし、開催できなくさせた被告の反民主主義的対応自体であり、これに対し、右実行委員会が抗議することは当然の行動である。

(2) 被告が本件処分において問題とした原告の行為について

被告は、中山寺集会を組織破壊に通じる分派的行動であり許せないものであるとするのであるが、それは、つまるところ、解放同盟を批判する見解をとること自体、解放運動に敵対し、被告組合の決定方針に反するものであり、ましてこのような見解に基づき、或いはこれを容認する研究活動など許せないという点にある。

しかし、部落問題における異る見解に基づく研究活動を、直ちに組織破壊、分派的行動などということは、論理の飛躍に陥ったものであり、また、被告組合における思想・信条の自由を侵すことを宣言したことと同義であるといわざるを得ない。そして、教育会館集会は、その開かれた経過、被告の組織対応との関係からみて、原告らが組織破壊にあたる中山寺集会に代えて、なおかつ同質の集会を開いたとしてこそ被告組合の団結と組織破壊につながるものといえることとなる。

しかし、前記の経過からすると、教育会館集会は、被告が自らの組合の中で「正しい部落解放運動」と標題した研究集会を一切認めないとしてなした組織対応の根拠となった決定・確認を、暴挙として糾弾したのであり、それ自体、労働組合における民主主義と基本的人権を守り、労働組合としての団結強化のために行われたものであることは明白である。教育会館集会の“決意”に対する被告の評価は被告組合の大会、中央委員会決定の中味が全く特定されておらず、あたかも、被告組合の方針全般と対立する運動を進める決議をしたかのように評価する結果となり、失当である。

よって、被告のなした本件処分は、組合員の権利にかかわる処分をなすについての判断根拠として十分具体的な事実とその正確な評価に基づいてなされたとは到底いえない。ただ、被告のいうがごとき部落解放運動と同じ見解でないということのみを許せなかったということなのである。

(3) 本件処分は無効である。

(イ) 労働組合の本質について

労働組合は、労働者によって組織される大衆団体であるが、労働者によって組織される大衆団体がすべて労働組合と呼称されるのではなく、対使用者、対資本との関係において労働者の経済的地位の向上をめざすというところに、団結の基本基盤を置いている団体をさすのであって、被告組合自身、その発行にかかるパンフレット「組合活動の知識」においても右の点を認めている。そして、右の考え方において重要なことは、団結の基盤として思想・信条の一致を前提としていないということであり、それはまた、現在の資本主義社会における矛盾に満ちた生産様式と複雑な状況のもとで、労働者に対し、社会的、政治的、経済的事象の全般に対する思想・信条の一致を求めることは不可能を強いることであるという意味からも、思想・信条の一致は前提とはなし得ないのである。

ところで、労働組合が労働者の経済的地位の向上をめざすことを主たる目的とするとはいっても、その基本目的達成のために、具体的にいかなる活動を行うべきかは、その時々の社会、政治、経済状況によって客観的に規定される。例えば、公害問題や住宅問題などを含む都市問題、社会保障制度の拡充要求や立法化要求、平和運動や、安保問題等がその時々の状況から組合として行うべき課題として提起されるであろう。ただ、こうしたいわば労働組合として必然的に拡大していく社会活動や政治活動の領域の問題について、直ちにそうした領域における思想・信条の一致が前提とされるものでは決してない。

右に例示的に見た領域の課題に対しては、その位置づけ、評価等における異った見解が労働者の中で起こり得ることは当然であるし、また、右の社会的、政治的課題については、組合員の結集にとってこれに対する思想・信条又は見解を一致させておかなければならないものではなく、また、労働組合に団結した後においても、その一致を誰からも強制されるべきものでもない。

こうした課題における労働組合の活動は、まさに教育・宣伝・説得など非強制的方法による地味な日常のたゆまざる活動と批判と反省によってのみ、向上が約束されるのである。

もし、右のごとき陳述においてまで組合が見解の一致を組合員に求め、異る見解の表明も禁止し、自らの見解に反する行動に参加することを強制されるようになれば、そこに残るのは、組合に当然保障されるべき右の課題での思想・信条の自由を民主主義と基本的人権の擁護を課題とすべき労働組合自らがこれを犯すこととなり、組合が欲すると否とにかかわらず自ら組合員を排除してしまうという結果である。

(ロ) 労働組合における統制権の根拠と限界

労働組合が統制権を有することについては一般的に承認されているところであるが、問題は、その根拠と限界である。根拠として一般に理解されているのは、労働組合の性格によるものということである。すなわち、労働組合という団体の性格上絶えず資本家・使用者との間で対抗関係に置かれざるを得ないという面と、代表の行動に依存するより集団的行動が重要な意味をもつという面がぬぐえないところから、必然的に資本家からの切りくずしを防ぐという面から強力な統制が必要であり、また集団的行動を統括するための統制力が要求されることとなる。この点に関し付言すれば、労働組合の団結の基盤である労働者の経済的地位の向上という面において、各労働者が一定限度の自由の制約を受けることは、その目的のために団結したという意味で各人の合意という点からも根拠づけられる。

次に、統制権の限界についてみると、前記のように労働組合の団結の基盤との関係で限界が出てくると解するのが相当である。すなわち、団結の基盤である経済的地位の向上という目的ないし合意の範囲の限度で統制権は機能すべきものである。

統制権の限界に関する判例は、労働組合の特定政党支持決議や、臨時組合費徴収の関係で多数存在する(例えば、最判昭四三年一二月四日三井美唄炭鉱労組事件、最判昭四四年五月二日中里鉱業労組事件、最判昭五〇年一一月二八日国労広島地本事件等)が、右判例は、労働組合の活動場面は、経済的地位の向上のみに限定されるものではないが、その拡大された領域においては、組合員の思想・信条の自由、それに基づく表現の自由が保障されるべきであり、そうした場面で研究・教育・宣伝・説得というレベルの組織活動は認められても、統制権をもって強制することはできないとするものと解すべきである。

ところで、問題は、右判例の考え方によるとしても、その現実の効果はどういうものかということである。すなわち、社会問題、政治問題における拡大された活動領域において、組合が一定の決議をなした場合、それと異る見解を有する組合員に対し、その見解の変更や右決議に基づく行動を強制したりする効力はないということとなり、右見解によったとしても、本件処分は無効であるとの結論に近づくのである。

(ハ) 労働組合における統制権と部落解放運動

本件処分は、部落解放運動の場面で行われたものであるが、右のような運動場面が労働組合として結集した目的・合意である経済的地位の向上という課題とその遂行の範囲に入らないことに異論はない。すなわち、部落解放運動は、封建的な身分制の残りものである部落差別を一掃し、そうした身分制に起因する格差や差別をなくして社会の平均的水位(水平・平等)にもっていくこと、封建時代の身分の違いを越えて国民的な融合を遂げていくことなのであって、優れて社会運動とでもいうべき場面である。

しかし、それはまた、労働組合においても、特に、被告組合のように同和行政に直接携わる自治体労働者の場合、行政の民主化や、同和行政にかかわる労働条件に大きく影響をもつものであるし、活動の範囲に含まれてくることは、これまた必然である。

この分野における被告の方針自体、昭和四四年を起点とし、年々部落解放運動が社会的に変化発展している状況に対応して変化しているし、それはまた当然のことである。しかし、被告の部落解放運動の場面での方針は、各組合員が労働組合に結合する前提として見解と立場を一致し、また、一致しておらなければならない内容ではない。けだし、被告組合の右方針は、前記のごとく解放同盟を解放運動における軸とも中心とも評価するものであり、具体的にも、右方針の内容は、原告ら組合員一般に強制することが現実的にも不当なものなのである。

(ニ) 他の処分例及び組合員の各種の活動に対する対処について

被告が組合を結成して以後、本件処分に至るまでの間に統制処分を行なったのはただ一例あるのみである。右処分事例は、昭和三七年に東成支部の一組合員に対して行われたものであり、使用者と直接厳しく対抗する状況の中で、労働組合による長期にわたる説得にもかかわらず組合の存在そのものを否定する言動を執拗に継続したというのであるから、すでに組合員としての資格を自ら放棄したものとさえ評価される場合におけるものであり、原告が労働組合の団結の強化・前進を追及する立場に立ち、しかも、労働組合として一致と結集を求められる基本的要求や合意に含まれない領域の課題について行なった研究活動を対象としてなされた本件処分とでは、根本的に性格を異にするものである。

次に、社会が複雑化するとともに政治、経済などの相互の関連が強まり、また労働組合の社会的存在としての意義、役割が強まる中では、労働組合のかかわる領域、課題も本来の基本的要求、合意の範囲にとどまらなくなるのは必然である。

従来、とりわけ、日米安全保障条約、核実験・核兵器、ベトナム戦争などから政党支持・選挙活動などの問題まで政治的、社会的諸課題について労働組合が深いかかわりをもち、組合内部においてもこれらの問題をめぐって鋭く深刻な見解、路線の対立を生じ、継続しているのが現状である。被告組合においても、これらの政治的、社会的諸課題について、是非は別としてそれぞれの方針をもち、一定の活動を行なっており、しかも鋭い対立が存在することは被告も自認するところである。

しかし、被告組合は、従来これらの課題について、見解の対立やこれに基づく行動に不一致を生じた場合において、被告の方針や決定に反したことを理由に被告のいわゆる組織対応や統制処分を行なった例はない。このことは、直ちに、被告が、民主主義や基本的人権を積極的に擁護する立場に立ち、組織対応や統制処分をもって対処すべき領域とそうでない領域とを厳然と区別していることを意味するものではないが、少なくとも被告においてもこのような課題についてまで、組合員に対し、組織対応や統制処分をもって組合の方針・決定を強制することがいかに困難であり、かえって、組合の団結自体をそこなうことになるかを本能的に認識していることを明らかにしている。

ちなみに、原告は、自らが支部長をしている被告組合浪速区役所支部において、このような政治的、社会的諸課題について十分に討議を重ねたうえで各組合員の自主的な選択を尊重する方針を貫き、かえって同支部の団結の強化・前進を得ているのである。

以上のとおり、本件処分は、本来、統制権の対象となし得ない領域の事項について処分を行なったものであり、無効であることは明らかである。

4  損害

(一) 慰藉料

原告は、本件処分によって大きな精神的損害を被った。その慰藉料として、少なくとも金三〇万円が相当である。

(1) 原告は、大阪市に採用された翌年である昭和三六年から組合活動に加わり、以後一貫して被告組合の有力な幹部活動家の一人として活躍してきた。現在の被告組合の執行部とは、様々な点、すなわち思想・信条、組合運動の進め方などで一致しないことが多いことは確かである。しかし、労働組合が思想・信条の如何を間わず、要求によって団結する大衆的な組織である以上、原告が被告組合全体に対して果たしている役割は大きく、原告は自己の信念に基づき誠実に被告組合内での役割を遂行してきたのである。かかる原告に対して本件処分が行われたのであるが、原告がいかに自己の信条に基づき確固とした行動を行なっており、また自己の行動の正当性を確信しているといっても、被告組合の名で本件のごとき処分が行われたことは耐えがたい苦痛であり、その公表は原告の名誉に対する重大な侵害であった。

しかも、本件処分は、組合の統制権の及ばないはずの活動を対象とした点で、被告組合が誤った選択をしたことにより行われたものであり、原告としては被告組合の幹部の一人として痛恨の思いを禁じ得ないところである。なお、被告組合の現在の執行部は、本件処分後においても、原告が組合大会で本件処分問題を取り上げることについて、原告が本件訴訟を提起中であることを理由として、「発言する資格もない」などという態度をとり、原告の組合活動に重大な誹謗を行なっており、本件処分は、権利停止期間を経過した後も、現在に至るまで原告の名誉を侵害し続けている。

(2) 原告の被った具体的な精神的損害は次のとおりである。

(イ) 浪速区役所支部長としての春闘指導ができなくなったことによる精神的損害

本件処分は、昭和五〇年二月二一日に発効したものであるが、時あたかも被告組合においては、極めて重要な年間闘争の一つである春季闘争の時期であり、例年ならば原告は被告組合浪速区役所支部の先頭に立ち、指導的役割を果たしつつ奮闘しているはずであった。同支部執行委員会で被告組合の春闘方針を検討し、代議員会を開いて討議し具体化し、春闘学習会を職場で組織していくなどのための指導が支部長である原告には求められるのである。

これらの諸活動についての指導が行えなかった点は、原告にとって大きな屈辱的経験である。

(ロ) 支部や本部の機関会議に出席できなかったことによる精神的損害

本件処分による権利停止を受けていた期間、支部執行委員会四回、支部代議員会二回、本部中央委員会一回、区役所支部連絡協議会の支部長会二回がそれぞれ開かれ、当然出席の権利と義務をもつ原告は、右会に出席できなかった。

支部の機関会議についていえば、原告は、指導部の一人としてその責任を全うできず、本部関係の機関会議については、支部の代表として参加し、支部組合員の気持や要求を直接本部の運営に反映すべき権限や役割を奪われたのであって、いずれも原告にとって耐えがたい精神的苦痛であった。

(ハ) 被告組合結成三〇周年記念式典における表彰からの排除

原告は、その組合活動歴と内容からすると、右記念式典において、当然表彰されるべき対象に入ることは公知の事実である。しかるに、被告組合は、原告には本件処分があり、かつ本件処分を裁判所で争っているということで除外した。

裁判の提起は、被告組合の統制処分が正しかったか誤っていたかの法的判断を求めるための正当な権利行使であって、被告組合における原告の経歴や貢献の問題とは全く別次元に属することである。被告は、これを混同し、本部執行部の多数を占める人々の原告に対する私怨はらしのごときやり方で、栄えある三〇周年記念事業を運営したことは大きな誤りであり、同時に右表彰から除外された原告の名誉侵害、精神的損害は多大である。

(ニ) ヨーロッパへの被告組合友好訪問団からの排除

被告組合は、ヨーロッパへ友好訪問団を派遣したのであるが、右訪問団構成員の経歴と原告の支部長経歴を対比すると、原告の支部長経歴の方が古く、右構成員の選考が経歴の古い順に行われていることからすると、原告は、右訪問団構成員に当然選考されるべきであった。しかるに、原告は、右(ハ)記載と同じ理由・やり方で右選考から排除されたのである。

原告は、右行事については積極的な評価をしているわけではないが、やはり選考を受けたうえ参加するかしないかを言明できる手続の保障が重要であり、この選考からも外されたことは原告の名誉を著しく毀損するものである。

(二) 弁護士費用

原告は、本件処分の無効確認等を求める本件訴えを提起するため、原告訴訟代理人に委任し、その費用として金五万円を要した。

5  よって、原告は、被告に対し、本件処分の無効確認並びに損害賠償金三五万円及び内慰藉料金三〇万円に対する訴状送達の日の翌日である昭和五〇年三月九日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四  請求原因に対する認否

1(一)  請求原因1(一)は認める。

(二) 同1(二)のうち、被告組合が四九の支部をもって構成されるとの点は争い、その余の事実は認める。被告組合の統制のもとに支部活動を行う四九支部が存在するのである。

2  同2(一)、(二)は認める。

3  同3は争う。

4  同4は争う。

本件処分による原告の権利停止期間中、被告組合の春闘に対する取り組みが一切影響を受けていないことは明らかである。また、原告は、被告組合支部長会に出席していない回数も相当数あるのに、昭和五〇年の春闘を進める重大な時期に、事実上組合員としての権利のみならず浪速区役所支部長及び中央委員としての職務執行をも停止されたから精神的苦痛が極めて大きかったなどと主張するが、それは本訴において原告が無理矢理主張したのにすぎず、その精神的苦痛の具体的内容は明らかでないから、損害額の請求の根拠は一切なく、不当である。

五  被告の主張

1  本件処分と右処分決定に至る経過

(一) 昭和四九年九月初旬、第二回部落研集会実行委員会、連絡先浪速区役所(原告、白浦)と記載した「第二回大阪市役所部落問題研究集会のごあんない」という本件案内ビラが被告組合員の多数者に配布され、また、被告組合員のために掲示された。

被告組合執行委員会は、本件案内ビラの内容、型態、配布・掲示方法について検討した結果、被告の労働組合組織運営にとって黙過できない問題、すなわち、第二回部落研集会は、被告組合の部落解放運動の方針に反対し、対抗する集会であり、被告組合の組織運動を破壊するための集会であって、いわゆるスト破り、第二組合づくりに傾斜していくような場合に匹敵し、これと同質の組織破壊、反組織行為であって、被告組合の団結と統一を危くするものであり、それ故組織防衛のために対応せざるを得ないと判断した。

(二) そこで、被告組合は、被告組合浪速区役所支部長の要職にありながら、右集会の連絡者となっていた原告に対し、右のような被告組合執行委員会の見解を伝えるとともに、右集会の中止を求めたが、遂に聞き入れられなかったので、被告組合としては、これに対し必要な組織対応をせざるを得ない旨原告に通告した。

(三) 同月一二日、一三日に開催された被告組合第二九回定期大会において、第二回部落研集会に関する問題についての経過報告と被告組合執行委員会の右(一)記載の判断などについて報告を行い、右大会はこれを承認した。

(四) 被告組合は、右大会の意思決定に基づき、同月二四日、改めて原告に対し、右集会を中止するよう説得したが、拒絶された。そこで、被告組合執行委員会は、同月二五日、被告組合臨時中央委員会に対し、右問題の取扱い経過に関する報告を行い、その承認を得るとともに、右集会が同月二八日、二九日に実施されようとしているため、

(1) 被告組合各支部は、組合員に対し、右集会に参加しないよう指導を徹底すること、

(2) 右集会の開催予定日に現地で説得行動を行うこと

について提案を行い、可決決定された。さらに、右臨時中央委員会は、「許されない組織破壊に対し、市職の統一と団結保持のため最大の努力を払おう」という内容のアピールを採決し、全組合員への周知を図った。

(五) 被告組合は、右臨時中央委員会決議に基づき、同月二八日、被告組合員三二〇名を動員し、右集会予定地である中山寺において参加者に現地説得行動を行い、右集会は開催されなかった。しかし、右説得行動と前後して、右集会は、場所を変更したらしいという連絡があり、早速調査したところ、大阪府立教育会館において、大阪市教職員組合の一役員名で右会場を借り、「部落問題学習会」という名称の集会が開催されるとのことであったが、これについては説得等の組織対応をしないことにした。

(六) 同年一〇月一日付「大阪民主新報」(日本共産党の大阪府機関紙)は、教育会館集会について報道したが、それは、同年九月二九日、第二回部落研集会実行委員会(委員長原告)主催による「民主主義と基本的人権を守る市役所労働者の集い」が大阪府立教育会館で行われたというものであった。そこで、被告組合執行委員会は、右報道に誤りがなければ、教育会館集会は被告の組織に対する著しく挑戦的な規律違反であると判断し、

(1) 第二回部落研集会実行委員会(委員長原告)は、前記大会の確認及び前記臨時中央委員会の決定をふみにじって強行したものである。これに対し、既に統制処分に付さざるを得ないと明らかにしているところであり、具体的に対処する必要がある。

(2) 統制違反としては、主謀者としての実行委員と単なる参加者とでは、その問題点の軽重は異るが、いずれも組合規約四七条1項所定の組合の規約・決議に違反したときに、また、同条3項所定の組合の統制をみだしたときに該当するものであり、統制処分の対象となる。

(3) 統制処分は、制裁手続規程に明らかなように、執行委員会の判断事項であるが、今回の取扱いは、支部、職場の運営に問題をもち込むことは必至であり、その点については組織強化対策委員会の判断も重要である。したがって、組織強化対策委員会に提起し、現状認識と実情理解の一致をはかる必要がある。

ということをまとめた。

これに基づいて、同月八日、被告組合の組織強化対策委員会(本庁ブロック四名、分庁ブロック四名、区役所ブロック四名と執行委員会四名で組織し、組織運営上重要問題について意見を求める機関)に本件問題を提起し討議の結果、

(1) 第二回部落研集会実行委員会のメンバーは、組合大会の確認、臨時中央委員会の決定にあえて違反した。これは、被告組合の団結を保持するうえで、許し難いことであり規約に基づく統制処分もやむを得ないことと認識する。

(2) 統制処分は、昭和二一年の組合結成以来、昭和三七年に一名の除名処分を行なっただけであったが、極めて遺憾であり、実行委員会のメンバーの真しな反省を求める。

(3) 制裁にあたっては、当事者や所属支部の意見を求め、事実に基づいて公正に判断する必要がある。その際、第二回部落研集会をめぐる取扱いが組織上に影響するところも大きいので、組織強化対策委員会を含めての事情聴取をするよう要請する。

という結論が出された。

(七) 同月一四日、被告組合執行委員会は、制裁手続規程二条による事実調査を行なった。被招請者は、原告と浪速区役所支部執行委員会とし、同時に組織対策委員の出席も求めた。

そして、被告組合執行委員会は、原告に対し、組合大会、中央委員会の決定のうえに立って、どのように活動し、反省しているのかについて報告を求めたが、原告は、報告の必要を認めない、問題点があるなら、具体的に指摘せよというのみであった。

そこで、右執行委員会としては、前記大阪民主新報の報道によって、問題点を質問するという形式で事実調査を行わざるを得ないとし、原告の同意を得たうえで事情聴取を行なった結果、大要次のことが明らかとなった。

(1) 第二回部落研集会実行委員長は原告である。

(2) 行なった集会は、第二回大阪市役所部落問題研究集会である。

(3) 中山寺集会と右(2)の集会は相互に無関係ではない。

(4) 右集会は被告組合の大会、中央委員会の決定を糾弾するということである。

(5) 右集会は大会、中央委員会の決定に反する「活動を発展させる」ものである。

などであった。

(八) 被告組合執行委員会は、右事情聴取のうえに立って、

(1) 中山寺集会は、被告組合の方針に対抗する内容をもち、組織破壊に通じる分派的行動で許せない集会であった。組合大会が確認し、中央委員会が再確認し、反省を促したにもかかわらず第二回部落研集会実行委員会は、あくまで計画実施の意思をひるがえさず、結果として説得行動を組織せざるを得なかった。

(2) 教育会館集会は、原告が中山寺集会と無関係でないと認めているとおり、被告組合の団結と組織破壊につながっていく点では同質の集会であったといわねばならない。

(3) さらに、教育会館集会は、被告組合の組合大会、中央委員会決定を糾弾し、決定に反する活動を発展させると決意、確認したことによりいっそう組織に対する対抗を鮮明にした。

(4) したがって、両集会を企画し、教育会館集会を実行した第二回部落研集会実行委員会は、組合規約四七条に基づく統制処分に付されざるを得ない。具体的処分内容については、さらに事態究明の努力と右実行委員の反省を求めながら、改めて中央委員会に提案する。

という判断をまとめた。

右判断を同月二三日、被告組合昭和四九年度第一回中央委員会に、本件問題に関する経過報告とともに提案し、右中央委員会はこれを承認、決定した。

(九) 右中央委員会の決定に基づき、同年一二月一九日開催の被告組合昭和四九年度第三回中央委員会に、被告組合執行委員会の結論であるところの、第二回部落研集会実行委員長である原告に対し、統制処分として権利停止一か月とする旨の提案をし、討議の結果、右提案どおり、可決決定された。

なお、右提案賛成者は、出席中央委員一八五名(中央委員定数二〇九名)中一六〇名であった。

(一〇) 同月二四日、原告から右決定に対する控訴がなされたが、翌二五日、被告組合執行委員会は、次に開催される被告組合臨時大会に議案上程し、最終決定することを確認した。

(一一) 被告組合臨時大会は、昭和五〇年二月二一日に開催され、原告の右控訴理由に対する被告組合執行委員会の判断を加えて、前記第三回中央委員会決定の再確認を提案し、討論採択の結果、出席代議員五一九名(代議員定数六二八名)中圧倒的多数の賛成をもって右提案が可決決定された。

以上のごとく、本件処分は、その理由、手続とも極めて慎重かつ正当に行われたものである。

2  原告の主張に対する反論

原告は、本件処分は統制権の及ばない行動を対象として行われたものであり、また、思想・信条の自由等に抵触する違法、無効な処分である旨主張するが、右主張が全く理由のないことは明らかである。すなわち、

(一) 今日における労働組合の社会的地位と機能、労働者或いは労働組合としての連帯・団結は、組合員個々人の政治的立場の相違を乗越えて求められるものであり、労働組合の本来の目的を達成するため、また、実質的な団結維持のために統制権が認められている。団結を支えるためには、被統制者の労働組合における地位、活動の範囲を充分考慮し、かつ、統制に価いする行為について、その行為の前後の経過までも含めて考慮し、それらが労働組合の団結を破壊する危険があり或いは破壊した結果、労働組合の方途を狂わすというようなことがあった場合は、組合の統制権の発動がなされるのはやむを得ないことである。

組合員個人の政治的或いは思想的信条が内心的にとどまるような場合は、労働組合としてその自由を妨げることは絶対になし得べきものではないが、その内心的な信条が表現行為に至った場合は、労働組合は、その本来の目的達成のために最も重視しなければならない連帯ないし団結を破壊され、その目的達成が強く阻まれることが起こり得ることは明らかであり、これはスト指令に違反してあえてスト破りをしたり、第二組合を結成しようと企画し或いは第二組合を結成したような場合にあてはまるものである。

原告に対する本件処分の対象となった行為は、明らかに、更なる規約違反の行為を連続して強行しようとしており、このことは単一組合内にことさら別集団を組織して、あえて市職の決議に基づく活動を妨害しようとしてはばからないものであって、このようなことが団結維持のためには許されないものであることはいうまでもない。

(二) 原告は、本件行為が思想・信条の自由或いは表現・結社の自由そのものであるが故に、いかに組合規約があり、組合総体としての決議があったとしても、それらの自由を侵す統制権の発動はできないものであるというが、これらの自由、ことに表現・結社の自由自体の行使にもそれ自体の中に限界と制約があるし、また、これらの自由を濫用してはならないことはいうまでもない。

ところで、被告は、第二回部落研集会に対し、前記のごとく説得、事情聴取等を行い、被告組合として統制処分を避けるためでき得る限りの対応を踏んだのであるが、原告は、被告組合のすべての対応に対し、あえて挑戦的な行動を繰返し、さらにこれらを糾弾し、かつ、このような誤った行動をさらに発展させると強弁してはばからなかったのである。

このような原告の行動をそのまま放置すれば、被告組合組織内組合員間の精神的葛藤は避けられず、かえってその葛藤は深刻なものとして波紋を広げ、組合員間に相互不信が発生し、その団結のひび割れが拡大して、労働組合本来の目的達成のためのすべての今後の行動に非常な齟齬を生じせしめることは明らかであり、仮に原告が思想・信条或いは表現の自由であると主張しても、それがために労働組合の最も中心であるべき団結が破壊されるような場合は、原告のいう思想・信条或いは表現の自由もその限界を越えたものというべく、団結維持のために被告組合の統制権を発動することは憲法上当然の行為として存在するものといわねばならない。

また、原告は、昭和四七年八月に開催された正常化連が主催する第一回大阪部落問題研究集会に参加し、その直後に大阪市役所部落問題研究会を結成したというが、このことは、昭和三三年の総評の「部落解放国策樹立要請全国会議」以来、総評・自治労に結集して解放同盟と共闘してきた歴史、とりわけ被告組合第二四回年次大会以来毎年の大会で共闘関係を決議してきた方針に反するばかりでなく、解放同盟内での内部的な問題――当時から解放同盟としては正常化連は分派活動として対応していた――に市の職員が介入するという自組織・他組織間の関係として許されないことを原告があえて被告組合員であり、かつ浪速区役所支部長という要職にありながら強行しようとしていることになる。

正常化連は、やがて全解連という解放同盟に敵対する集団に体質を変化していくのであり、原告は、また、この全解連員であるともいう。さらに、原告は、単一組合である被告組合の支部長でありながら、浪速区役所支部の最高指導者として被告組合の方針・決定にあえて違反する方針を浪速区役所支部の方針として実行しようとしている。そして、被告組合が労働組合として他の団体の紛糾或いは分裂ということに絶対に介入したり協力したりすることは許されないとする方針――労働組合はすべての他の団体の内部問題には介入してはならないというのが、歴史的にも伝統的にも永遠に維持さるべき鉄則である――にあえて違反して、原告が労働組合員として極めて破廉恥な行動をしていることも明らかである。

被告組合が単一組織であり、その組合員であり、支部長である限り、組合の方針に反する別個の支部方針など本来的にあり得ないし、そのようなことが正当的に存在するとすれば、それはまさに団結が破壊されている状態にあることを示している。原告自らが被告組合の方針と異なる支部方針があると自認していることは、本件原告の統制処分対象になった行為もこれと同系列の経過の中で行われたことを明らかにしている。

以上の事実から明らかなように、本件処分の対象になった原告の行為は、思想・信条・表現の自由の名をかたった解放同盟の内部問題に介入したあからさまな行動の一つであったことはいうまでもなく、そのような他組織への介入を絶対に許さないとする被告組合の組織上の鉄則に違背するばかりか、そのことが被告組合の団結のたがを緩める重大な破壊活動であるから、原告の思想・信条・表現の自由の行使という主張は言訳にすぎず、これらの自由を濫用した許し難いものであることは明らかである。

(三) 原告は、本件研究集会等が市役所の全職員を参加対象とした自主的研究活動であると言い、いかにも被告組合の組合員ばかりでなく他の大阪市職員も同時に対象としているから組合内の別集団でないというがごとくであるが、被告組合の組合員がその中核であることは明らかであり、また、被告組合の組合員をもって第二回部落研集会等の中核を構成することを実質的に期待し、行動していたといわなければならない。

すでに永年にわたって被告組合の運動方針の重要な一つとなっている事柄に関して、たとえ研究集会という名称を使ったとしても、組合方針を非難し、糾弾するような集団をつくった場合は、労働組合においてはそれは分派活動として許され得ないものであることは当然である。

組合員個人としては、例えば組合で決まったストライキに反対の内心的意思――この内心的意思を非難して統制処分などでき得べくもないことはいうまでもない――である限りはともかく、このような内心的意思をもってスト破りという表現行為をした場合或いはそのような内心的意思をもつ組合員が集団でスト非難或いは糾弾をする組織をつくった場合はなおさら統制処分に価いすることはいうまでもない。

これは、スト破りそのものが問われているのではなく、本質的には組織―団結が組合の最大の前提であり、この団結が破壊されることを未然に防ぐところに意義がある。原告の本件統制の対象となった行為は、すでに詳述したように、いかに考え方の自由であるといっても、それが被告組合一万六〇〇〇人の組合員の団結を破壊することになるし、だからこそ統制処分をせざるを得なかったのである。

考え方の違いがあるからといって、労働組合の中でそれぞれの集まりができるような場合、それが放置されれば、組合員間に心理的・精神的葛藤が増大し、そのことが組合員間の意思の疎通を阻むことは経験則上明らかであり、それがやがて、例えば賃上げの要求をまとめようとする場合にも、右の心理的・精神的葛藤が原因となって深刻な団結阻害を生ぜしめるのである。

(四) 被告は、解放同盟或いは同対審府民共闘との連帯活動に関し、原告自身が内心的意思としてそれに反対であること自体を変更させるために本件処分をしたものでないことは明らかである。

また、原告が被告組合の機関内で反対の意見表明をして組合意思を原告の思うような方向にしようとするのを、被告組合が非難するものでないことはいうまでもない。機関内でのこのような行為は、組合意思の決定に際して常にとられなければならない必須の道程である。組合民主主義はこのときに発揮され、自由な討論は統一と団結の要素となるのである。

しかしながら、一旦決まった組合方針に反対であるからといって、機関内でその決定変更を求める討議をするならばともかく、機関外で反対意見の組合員を集めて集団として反対行動をとることになれば、それは分派活動、すなわち団結破壊行動に変質することはいうまでもなく、原告が支部長という組合内の要職にあったことは、この非違を倍加する。

原告の行動は、まさに分派活動であったのである。

第三証拠《省略》

理由

第一  被告の本案前の申立に対する判断

一  被告は、要するに、本件処分の適否について、司法審査権は及ばない旨主張する。

よって、按ずるに、労働組合は、憲法二八条による団結権保障の効果として、その目的を達成するために必要であり、かつ、合理的な範囲内においては、その組合員に対する統制権を有するものと解すべきである(最高裁昭和四三年一二月四日大法廷判決・刑集二二巻一三号一四二五頁参照)。そして、労働組合は、本来、労働者が主体となって自主的に組織された団体であり、その運営・行動において、民主性を確保し、自主性、自律性を有すべきことが予定されていることからすると、右統制権の行使及びこれに対する不服審査等組合の内部規律に関する事項は、原則として当該労働組合の内部において自律的になされるべきであり、関係当事者はその結果を尊重すべきであるということができる。しかしながら、他方、組合員は、労働組合内部において、組合活動に参加し得る地位を団結権によって保障されているのであるから、労働組合の統制権の行使が違法に組合員の団結権を侵害するに至る場合には、その救済を司法上の手続に従って求めることができるものと解するのが相当である。

しかして、原告の本訴請求は、本件処分が本来統制権の対象となし得ない事項を対象として行われたことなどを理由にその無効確認等を求めるものであるから、本件処分の適否は、司法審査の対象となる場合にあたるものというべきであり、しかも、本件処分は原告に法律的な不利益を与えるものであるから、本訴請求は法律上の争訟というべく、これに反する被告の主張は失当といわなければならない。

二  次に、被告は、本件処分無効確認の訴えは、確認の利益を欠く不適法なものであると主張する。

本件処分は、昭和四九年一二月一九日、原告に対してなされた、被告組合の組合員としての権利を一か月間停止するとの処分であり、昭和五〇年二月二一日からその効力を生じたものであることは当事者間に争いがない。

ところで、一般に、確認の訴えは、現在の権利又は法律関係の存否を対象とし、また、原告の権利又は法的地位に不安が現存し、その除去のため権利又は法律関係の存否を判決によって即時に確定してもらう現実の法律上の利益があるときに、確認の利益が存在するとして許されるものである。

しかして、本件処分無効確認の訴えは、原告に対し昭和四九年一二月一九日になされた本件処分という過去の法律行為の効力の存否を確認の対象とするものであり、また、右当事者間に争いのない事実から明らかなごとく、本件処分の効力は、原告の被告組合における組合員としての権利を一か月間停止するというものであるから、右権利停止期間は、昭和五〇年三月二〇日の経過をもって満了し、原告は、それ以後被告組合の組合員として完全な権利を有しているのであり、被告が右事実を争うものでないことは明らかである。

なお、原告は、右権利停止期間満了後においても、被告執行部から本件訴えを提起中であることを理由に、組合大会において本件処分問題について発言する資格がないと言われるなど名誉侵害行為がなされている旨縷縷指摘している(請求原因4)ので、念のため考察を加えるに、《証拠省略》によると、昭和五一年九月に開催された被告組合の第三一回年次大会において、原告が第二回部落研集会に関する問題について発言した際、被告組合の三島書記長が原告指摘にかかるような発言をしたことを認めることができるが、右発言は、原告の右主張からも窺われるごとく、原告が本件処分を理由に本件訴えを当裁判所に提起していることをとらえ、原告自らが第二回部落研集会に関する問題について、被告組合内部において討論する機会を放棄したとの判断に基づいてなされたものであることは明らかであり、そうすると、三島書記長の右判断及び発言は、その当否はとも角、原告が本件処分を受けたことを理由に、右停止期間満了後の原告の組合員としての権利又は法的地位に関し何らかの欠缺が存在するという趣旨ではなく、また、原告が本件処分を受けた後、請求原因4(一)(2)記載のような精神的な損害を被ったとしても、それは、原告が本訴において併せて請求しているごとく、本件処分という不法行為を理由とする損害賠償請求訴訟において、損害の回復を求めることによって直截的に解決することが可能であり、さらに、仮に、本件処分を受けたことによって将来において何らかの不利益を受けることがあるとしても、これをもって未だ本件処分の無効確認を判決によって即時に確定することを必要とする程の現実の法律上の利益が存するものということができない。

よって、原告の本件処分無効確認の訴えは、確認の利益を欠く不適法な訴えとして却下を免れない。

第二  本案(損害賠償請求)についての判断

一  請求原因1(一)及び(二)のうち、被告組合の支部組織に関する事実を除くその余の事実については当事者間に争いがなく、《証拠省略》を総合すると、被告組合には、昭和四九年当時、大阪市の二六区役所及び各局などを単位とする四九支部が構成され、被告組合本部の統制の下に支部活動を行うこととされていたことを認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

二  請求原因2(一)、(二)については当事者間に争いがない。

三  そこで、本件権利停止処分が適法であるか否かについて検討する。

1  《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(一)(1) 被告組合は、その綱領において、「一、われらは労働組合の強固な団結力によって生活の安定と向上を期する。一、われらは市政を刷新し民衆本位な地方自治の実現を期する。一、われらは民主主義を基調として新日本の建設を期する。」と定め、また、規約五条において、「この組合は綱領、宣言および決議の実現をはかることを目的とする。」と、同六条において、「この組合は前条の目的を達するため、つぎの事業をおこなう。1組合員の労働、生活条件の維持改善に関すること 2組合員の相互扶助ならびに福祉に関すること 3組合員の教育、文化、健康に関すること 4同一目的をもつ団体との連携、協力に関すること 5その他この組合の目的達成に必要なこと」と定めており、右綱領、規約の定めのもとに活動を行なっているものである。

(2) 被告組合は、昭和四二年頃から部落問題に関する学習会を開くなどして右問題に対する組合員の理解を深めるための活動を行なっていたが、昭和四四年九月四、五日に開催された第二四回年次大会において、同組合としては初めて、運動方針として部落解放運動に対する活動をとりあげ、審議の結果、本部提案にかかる原案どおり可決された。右運動方針は、部落解放運動を「同和対策事業にかんするとりくみ」との標題のもとに、「自治体の民主的革新をかちとるたたかい」の一環としてとらえ、昭和四〇年に同和対策審議会答申(以下、同対審答申という。)が出された後、昭和四四年七月一〇日に施行された同和対策事業特別措置法(以下、同対特別措置法という。)の制定を、解放同盟を始め労働者階級全体の運動の成果として評価するとともに、同法によって部落の解放をめざす行政施策を大きく前進させなければならないとし、その具体的方策として、部落問題解決のための施策を国や自治体の重要施策として位置づけさせ、同対審答申完全実施実現のため国の統合年次計画の樹立並びに自治体に対する財政援助の強化をめざして闘うこと、大阪府・市の同和対策行政を統合的かつ重要施策として確立させるため内閣同対審完全実施大阪府民共闘会議に結集して闘うこと、さらに部落解放の闘いを国民的課題として取組むため、同対審答申を始めとする部落問題についての正しい認識を広めるため、研究活動を行うことというものであった。

被告組合は、右運動方針を基本とし、昭和四五年九月の第二五回年次大会において、部落解放運動は、解放同盟を軸に労働者階級が国民的課題として実践しなくてはならないとし、具体的活動としては昭和四四年度の運動方針と同様の活動をすることを定めた運動方針を決定し、また、昭和四六年九月の第二六回年次大会において、同対特別措置法の制度を従来の部落解放運動の一つの到達点として評価し、解放同盟を中心に、被告組合も加盟する全日本自治団体労働組合(以下、自治労という。)も参加して、同対審共闘大阪府民共闘会議を組織し、運動してきたが、その中で、部落解放運動に関する考え方の相違から運動方法に対立がみられるようになったこと、部落解放運動は、具体的な人権侵害に対し、憲法に規定された諸権利回復の問題であり、それ故、被告組合は、自治労を通じて同対審共闘へ結集し運動を強めること、特に支部、職場での研究活動を組織していくことなどを運動方針として定め、昭和四七年九月の第二七回年次大会において、部落解放運動は、解放同盟を軸として同対審答申の完全実施の運動が行われた結果具体的な成果をあげている反面、労働組合等の理解が必ずしも十分でないこと、共産党の立場からの非難、攻撃もあって、全面的に発展しているといえない実情にあることを指摘し、これを克服し、右運動を発展させるために、同対審共闘大阪府民共闘会議の運営を強め、同対審区民共闘の取組みについても検討を進める旨の運動方針を決定し、昭和四八年九月の第二八回年次大会において、前年度同様、部落解放運動は、解放同盟を軸として具体的な成果をあげ、運動としても広がりをみせていると指摘し、部落解放の早急な実現は国民的課題であると規定し、特に、労働組合にとっては、部落差別が低賃金と支配の構造を支える物質的・精神的基盤であることから、労働組合運動の基本的課題として取組まなければならないが、戦後の運動の中で部落解放についての理論解明が十分でなく、むしろ、同対審答申という一般民主主義の次元に先導されて進められてきていること、共産党の歪曲「理論」があるために階級的視点が十分に確立せず、労働組合の取組みも全面的に発展しているとはいえない実情があるとし、今後の運動として、部落解放研究会の活動とともに支部機関による組織運動として、部落解放の課題に取組んでいくことが大切であるとする運動方針が決定された。そして、昭和四九年九月一二、一三日に開催された第二九回年次大会において、部落差別は、労働者階級を分断支配する手段として、資本と国家権力によってつくり出されたものであり、日本の低賃金・低生活構造の基盤として温存・助長されてきたものであって、部落解放は労働者の生活と権利を守る基本的課題の一つであり、国の責務であり、国民的課題であるとし、労働組合の運動として部落解放に取組むとともに、解放同盟との連帯、同対審共闘への結集などを通じて国民的課題としての運動化に努力する必要があるとし、日常的に部落解放についての教育・啓蒙活動を強めることが重要であり、共産党が、部落解放と同和行政について歪曲「理論」により、差別を拡大・助長しているから、支部機関と活動家の理論的学習と部落解放運動の職場定着について、一層の努力が求められている旨を定めた運動方針が決定された。

(二) 原告は、昭和四〇年頃から、いわゆる部落問題に対する取組みを始めるようになり、昭和四三年には被告組合浪速区役所支部において部落問題学習会を開催し、昭和四五年九月には自主的な研究サークルとして、浪速区役所の職員を対象とした浪速区役所部落問題研究会をつくり、毎月定例的に学習会活動を行い、また、被告組合大会を始め各種会議において、部落問題に関する発言を行なっていたが、特に、昭和四六年九月の第二六回年次大会において、前記被告組合の部落解放運動についての運動方針原案に反対する立場から発言し、今日、部落解放運動には二つの潮流が生じていること、すなわち、昭和四五年六月、解放同盟の中に従来の解放同盟の理論に反対する考え方に立つ部落解放同盟正常化全国連絡協議会が結成され、部落解放運動自体に分岐の状況が生じていること、解放同盟の理論には誤りがあることなどを指摘し、同対審共闘の強化という方針には賛成し難いことなどを述べたのであるが、右発言は議長権限において議事録から抹消され、その後も各年次大会において、部落解放運動について、被告組合の運動方針とは異る考え方のもとに発言を行なったが、他の組合員から野次を浴せられ、或いはその発言を議事録から抹消されるということがあった。

ちなみに、部落解放運動を推進してきた解放同盟は、その内部において、右運動に対する考え方の相違などから対立が生じ、昭和四五年六月には正常化連が結成されるなど対立が明確なものとなり、組織分裂の様相を呈していたものである。

原告は、昭和四七年八月、部落解放同盟正常化大阪連絡会議が主催して開催した第一回大阪部落問題研究集会に参加したが、右集会終了後、原告以外にも約五〇名の大阪市の職員が右集会に参加していたことが判明し、原告を始め右大阪市の職員らは、以後、お互に部落問題について研究しあうことを申し合わせた。そして、昭和四七年一〇月、原告ら右集会参加者が中心となって、大阪市役所部落問題研究会が結成された。右研究会の会則には、右研究会は、被告組合によって組織される職場に勤務する職員に限らず、大阪市の全職員を対象とし、部落解放運動の正しい理解と認識を深め、広めることを目的とし、そのために、職場で起っている問題を話し合い、部落の歴史や現状、部落解放運動等について学習すること、役員として、会長一名、副会長二名、運営委員若干名をおくことなどを定め、原告は、当初から右研究会の会長に就任した。

大阪市役所部落問題研究会は、昭和四八年五月、原告が実行委員会委員長として、信貴山において、第一回大阪市役所部落問題研究集会(以下、第一回部落研集会という。)を開催した。右集会には、約一二〇名の大阪市の職員が参加し、八尾市立竹渕小学校教諭を講師に招き、部落問題についての入門的な講演を聴いた外、二、三の労働組合役員の出席を得て、講演及び討論を行なった。右集会は、部落解放運動に関連して発生した、いわゆる矢田事件以降の諸問題、すなわち、いわゆる羽曳野事件、吹田事件などにおける解放同盟の考え方及び行動に批判的な立場に立って行われたものであり、その立場は、以後の右研究会が開催する集会において、一貫してとられているものである。

第二回部落研集会は、第一回部落研集会において、その開催を決議していたことに基づき、再び原告を右集会実行委員会委員長として、昭和四九年一月頃から準備が進められていたが、同年九月二八、二九日の両日中山寺において開催することとし、同年九月初旬頃から本件案内ビラを右研究会会員を通じてその友人・知人である被告組合及び大阪市従業員労働組合の各組合員である大阪市の職員に配布するなどして参加を呼びかけた。

被告組合は、原告及び右実行委員会の右のような行動に対し、被告の主張1(一)ないし(四)記載のような検討をし、判断と決定を行なって、原告らに対し、第二回部落研集会の中止を申し入れるなどしたが、原告らは、右申入れを受入れなかった。そこで、被告組合は、被告の主張1(五)記載のごとく、同月二八日、説得行動のため被告組合員三二〇名を動員し、中山寺へ参集させたが、後記のごとく中山寺集会が開催されず、被告の主張1(五)記載のごとく連絡を受けた大阪府立教育会館における集会については、組織対応をしなかった。

これより先の同月一八日、第二回部落研集会実行委員会は、右集会の会場として予定していた中山寺から、被告組合の真場組織部長外一名が中山寺を訪れ、右集会当日、右集会参加者に対し、右集会に参加しないよう説得行動をするので、そのための場所を借りたい旨の申入れがあったため、右説得行動によって混乱状況が発生することが予想されるとして、右会場の使用を断る旨の申し出を受けるに至り、他に右集会を予定通りの日程で開催することのできる会場を確保することができなかったので、やむなく右集会を中止した。

右実行委員会は、同月二九日、大阪府立教育会館において、「民主主義と基本的人権を守る市役所労働者の集い」なる名称の集会(教育会館集会)を開催し、第二回部落研集会の企画に対する被告の組織対応の結果、右集会の開催が不能となったこと及び右のような被告組合の対応は憲法を蹂躪し、民主主義・組合の団結・研究集会を破壊する行為であるとして糾弾し、大阪市役所の中に民主主義を実現していくためにも、被告組合の不当な圧力に屈せず、自主的な活動を発展させるとの決意を表明し、併せて、中山寺集会において予定されていた映画「狭山事件」を上映し、部落解放同盟京都府連委員長三木一平の講演を実施するなどした。しかして、中止された第二回部落研集会は、同年一二月七、八日、信貴山において、中山寺集会に参加することを申し出ていた者らに通知し、約二〇〇名の参加者を得て開催された。

被告組合は、中山寺集会が中止された後、教育会館集会が開催されたことを知り、その後、被告の主張1(六)、(七)記載のような経過を経て、各決定を行い、制裁手続規程に従った事実調査を行なったうえ、被告の主張1(七)(1)ないし(5)記載の事実を認定した。そして、被告組合は、右認定した事実に基づき、被告の主張1(八)ないし(一一)記載の手続を経たうえ、原告に対し、本件処分を行い、確定するに至らしめたものである。

2  ところで、労働組合は、憲法二八条による労働者の団結権保障の効果として、その目的を達成するために必要であり、かつ、合理的な範囲内においては、その組合員に対する統制権を有するものと解するのが相当であることは前記説示のとおりである。また、労働組合は、元来、労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織される団体又はその連合団体である(労働組合法二条)が、現実の政治・経済・社会機構のもとにおいて、労働者がその経済的地位の向上を図るにあたっては、単に使用者との交渉に止まらず、労働組合がより十分に右の目的を達成させるための手段として、その目的達成に必要な政治活動や社会活動を行うことを妨げられるものでないことは明らかである。しかして、近代社会における部落差別とは、市民的権利、自由の侵害に外ならず、部落差別を解消することが国民的な課題であるとされることからすると、労働組合が部落差別を解消するための推進活動をなすことは、国民に保障された市民的権利を回復することによって民主主義社会を実現し、ひいては労働者の権利・利益保護の維持向上を図らしめるに至るという点において、労働組合として当然に行い得る活動であるということができ、とりわけ、前記認定にかかる綱領、規約を有する被告組合においては、その目的に合致する活動であるということができる。

ところで、部落解放運動に関しては、その達成すべき目的において、何人もその結論を同じくするものであることは明らかであるが、他方、その目的を実現すべき運動理論において、種々の考え方が存在し必ずしも同一でないことは、これまた周知のとおりである。従って、労働組合が部落解放運動を推進するうえにおいて、一定の考え方又はこれに支配された運動方針を採用し、或いは目的を同じくする他の組織と連帯のもとに活動することは、労働組合の活動方法として許されない訳ではない。しかし、仮に、労働組合の採用した運動方針(考え方)とは異る考え方に基づいて、部落解放運動を進めるべきであると考え、それを望む組合員が、右運動方針に反する行動をしたとき、労働組合は右組合員に対し、統制権を行使し得るかどうかについては深慮を要するところである。

確かに、労働組合は、強い団結を実質的基盤として存在し、活動することを要求されることからすると、被告主張のごとく、全組合員が組合において決定した運動方針に従い、統一した行動をとることが必要であるということができる。そして、それ故に、労働組合は、右のような組合員に対し、組合の決定した運動方針に従って行動するよう勧告又は説得することは、それが単なる勧告又は説得に止まる限り、労働組合の組合員に対する妥当な範囲の統制権の行使として許されるものということができる。

しかしながら、本来、部落解放運動を如何なる考え方のもとに推進するかについては、ひとえに右運動を推進しようとする各個人の思想・信条に従って決定されるべきものであるところ、前記認定事実から明らかなように、現に、部落解放運動に関する運動理論が分岐している現状においてはなおさら、部落解放運動を推進しようとする者が如何なる考え方を採用し、また、これを研究し、活動するために研究会を組織し、集会を開催することは、思想・信条の自由、集会・結社・言論・表現の自由として、憲法によって保障されたものというべきである。加えて、前記説示から明らかなごとく、部落解放運動は、労働組合にとって、いわば、労働者の労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図るという主たる目的を達成するための基盤の形成という、いわば副次的活動というべきであるから、労働組合は、右活動に関する運動方針をもって、これに反する組合員の行動を絶対的に拘束することは、思想・信条の自由等が市民的自由として憲法によって保障されている趣旨に照らしても、許されないものといわなければならない。よって、労働組合といえども、右組合員に対し、統制権を行使して説得又は勧告を越えて何らかの不利益処分をなすことは許されないのである。

これを本件についてみるに、前記認定事実によると、被告組合は、昭和四四年以来、部落解放運動に関する運動方針として、解放同盟の運動を評価し、解放同盟を軸に、或いは連帯して右運動を進めていく旨決定し来たったものであるところ、原告は、部落解放が必要であり、これを推進すべきであるという点においては被告組合の方針と考え方を同じくするものであるが、解放同盟の解放理論に賛同せず、それ故に被告組合の右運動方針には反対の態度をとり続けていたのであり、また、解放同盟の運動理論とは異る考え方に立って部落問題を研究し、その活動を進めるための会合として大阪市役所部落問題研究会の結成に参加し、その会長として、昭和四八年以来、研究集会を開催し、昭和四九年九月二八、二九日、第二回部落研究集会(中山寺集会)を開催すべく右集会実行委員会委員長として企画・準備していた。これに対し、被告組合は、右集会を組織破壊行為であるとして中止すること、中止しない場合には組合員を動員して、集会会場現地における説得行動等の組織対応をせざるを得ない旨の組合大会及び中央委員会等における決定をなし、原告及び実行委員会に通告したが、原告らは、これに従うことなく右集会を開催することとしていたところ、結局、被告組合の右組織対応の影響により中止のやむなきに至り、それ故、同月二九日、被告組合の右決定等の組織対応を批判し、原告らの自主的活動を発展させるとの決意を表明するとともに中山寺集会において予定していた内容の一部を実行する教育会館集会を開催したものということができる。しかして、原告が実行委員会委員長として、第二回部落研集会を企画し、実行しようとしたことは、被告組合の運動方針並びに組合大会及び中央委員会等の決定に反するものであり、また、教育会館集会を開催したことは、被告が本件処分をなす前提として認定したごとく、第二回部落研集会そのものを開催したものとはいい難いが、結局のところ、中山寺集会を開催し得なかったことを機縁として、右組合大会の決定等を批判し、中山寺集会において予定していた集会の内容の一部を実行したうえ、大阪市役所部落問題研究会の目的とする活動を発展させるとの決意を表明したという教育会館集会の趣旨及び内容を総合勘案すると、被告組合の運動方針及び右決定等を批判し、これに反する行動をなしたものということができる。

そうだとすると、原告の右各行為は、いずれも本来的に原告の有する思想・信条の自由、集会・結社・言論・表現の自由という市民的自由、権利に属することがらであるというべきであり、加えて、教育会館集会において、右組合大会の決定等を批判したことは、被告組合における前記認定のような組織対応を前提とする限り、集会・言論・表現の自由によって保障された活動というべきであるから、原告の右各行為に対し、被告組合が勧告又は説得の範囲を越え、統制処分を行うことは統制権の限界を越え、原告の団結権を侵害する違法な行為というべきである。

なお、被告は、原告の本件行為は、思想・信条の自由、集会結社の自由を濫用して行われたものであるから、統制権の対象となる旨抗争するので按ずるに、前記説示から明らかなごとく、被告組合にとっての部落解放運動の意義及び右運動理論が必ずしも一致し得るものでなく、現に分岐した状況にあること並びに被告組合の説得行動が原告らの自由な判断を許すものであったとはいい難いことなどを考慮すると、被告主張のごとく、原告が被告組合の説得等に応ずることなく、中山寺集会を開催しようとし、また、教育会館集会を開催したことをもって、思想・信条の自由等を濫用したとまでいうことはできない。

また、被告は、原告が被告組合浪速区役所支部長の要職にありながら、大阪市役所部落問題研究会の結成に参加し、その集会を開催することは、他組織である解放同盟の内部的な問題に介入するものであり許されない旨主張するので按ずるに、大阪市役所部落問題研究会は、被告組合の組織とは別の会合として、被告組合員及びそれ以外の大阪市の職員をも対象とし、部落問題を研究することを目的とするものとして結成されたものであり、原告は、個人としての立場において会長の地位にあることは、前記認定事実から明らかなところであり、仮に、右研究会活動が被告主張のごとく、解放同盟における内部的な対立に何らかの関係を有するものであったとしても、これをもって、解放同盟内の内部的な問題に介入したものとまでいうことはできない。

さらに、被告は、原告の大阪市役所部落問題研究会における活動は分派的活動として許されない旨主張するので按ずるに、ことさらに組合の団結力を弱めるような組合員のいわゆる分派活動は、統制を紊すものということができるところ、原告の本件行為は、思想・信条の自由等の市民的権利によって保障された活動であること前記説示のとおりであり、また、原告が本件行為をなすについて、被告組合の団結をことさらに弱めることを意図していたと認むべき証拠は存在せず、さらに被告組合における部落解放運動の意義を併せ考えると、原告の本件行為をもって、被告組合の統制を紊す分派活動ということはできない。

そうすると、本件権利停止処分は、いずれにしても違法なものというべきである。

3  被告組合は、前記認定のごとく規約及び制裁手続規程に則って本件処分をなしたのであるが、労働組合の有する統制権の範囲について、その解釈(理解)に重大な誤りを犯したことにより本件処分をなすに至ったものというべきであるから、右処分をなすにつき過失が存在したものという外なく、よって、原告の被った後記損害を賠償すべき責を免れ難いものといわなければならない。

四  次に、原告の被った損害について検討する。

1  《証拠省略》を総合すると、原告は、昭和三六年以来被告組合浪速区役所支部の青年部役員、同支部執行委員、同書記長、本部中央委員、右支部副支部長の役職を歴任した後、昭和四四年七月、右支部長に選任され、以来、その地位にある者である(ただし、右役職を歴任したことは当事者間に争いがない。)が、その間、確固たる思想と信念に基づき被告組合の組合活動に参加してきたものであるところ、本件権利停止処分により昭和五〇年二月二一日から一か月間組合員としての権利を停止されるとともに被告組合浪速区役所支部長としての権限を行使することができず、とりわけ、右権利停止期間が春季闘争の時期であったため、支部長として原告がなすべき職場における諸々の活動の指導をなし得ず、また、右期間中に行われた本部中央委員会、支部長会、支部執行委員会等に出席することができなかったこと、さらに、本件処分を受けたために本件訴訟の提起を余儀なくされたにもかかわらず、その後に開催された第三一回年次大会(昭和五一年)において、原告が第二回部落研集会問題について発言したのに対し、被告組合書記長から、右訴訟を提起したことをとらえて、原告には右問題について発言する資格がないとまで論難されていることを認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

なお、原告は、原告が精神的損害を被った事情として、他に請求原因4(一)(2)(ハ)、(ニ)記載の事実を主張するのであるが、右主張にかかる被表彰者及び友好訪問団構成員の選任は、事柄の性質上、いずれも被告組合の裁量においてなされるべきものであることからすると、原告が選任されなかった原因が本件処分を受けたことにあるものと即断することはできず、右主張に副う原告本人尋問の結果は採用し難く、他に右主張を認めるに足る証拠はない。

前記認定の事実によると、原告は、被告組合による本件処分によって相当の精神的苦痛を被ったであろうことが容易に推認することができるところ、その精神的苦痛を慰藉すべき金員としては、金五万円をもって相当と考える。

2  原告が本訴の提起、追行を原告訴訟代理人に委任したことは明らかであるところ、本件事案の性質、難易、慰藉料額等の事情を考慮して、被告に負担させるべき弁護士費用の額は、金一万円とするのが相当である。

3  そうすると、被告は、原告に対し、損害賠償金六万円の支払義務を有するものといわなければならない。

第三  以上の次第で、原告の本訴請求のうち、本件処分の無効確認を求める訴えは、不適法であるからこれを却下し、損害賠償請求は、損害賠償金六万円と内慰藉料金五万円に対する訴状送達の日の翌日である昭和五〇年三月九日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を適用し、仮執行宣言の申立については、その必要がないものと認めこれを却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上田次郎 裁判官 松山恒昭 裁判官下山保男は転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 上田次郎)

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